よく聞きなさい。貧乏人の子が金持ちになるのはむずかしいものである。また、あなたがたに言うが、貧乏人の子がスター起業家になるよりはらくだが針の穴を通る方がもっとやさしい。 pic.twitter.com/SsgzI47qQP
— クロノスの商人 (@ChronoMerchant) March 11, 2023
上のツイートが流れてきて気になったフルツチです!
内容は成功するにはスタート時点=家庭の資産が多い方が有利だよね!という話です。
で、この話で重要なのは家にお金があると成功がどう結びつくのか?という要因分析です。
2022年にイグノーベル賞を受賞した「才能と運」によると、才能は成功に関係性が弱く、運の方が大事であるという話で、研究空間だともっともお金持ちになった人はもっとも幸運なイベントに遭遇した(悪いイベントに遭遇しない)という人です。
お金持ちの子供がお金持ちになりやすい理由の考察
上の研究で重要だったのは幸運なイベントに遭遇して、悪いイベントに遭遇しないということで、家がお金持ちは上の研究とは趣旨がズレますが、スタート資産が多い点では有利であり、幸運なイベントに遭遇してスタートをきったことになります。
次にイベントに遭遇する機会を考えましょう。
私の親は経営者で中流以上ではあるんですが、同等以上のお金持ちやイベントに出会う機会が多いです。
また、家がお金持ちであれば失敗と成功へのきっかけとなるチャレンジの回数が増やせます。親が医者であれば、医者になるまで試験を受けることが普通の家庭よりは可能でしょう。
これまた別の実験ですが、スパゲッティのような細い折れやすい棒をできるだけ高くバランス良く積み上げるという実験で、もっとも良い成果を出したのは大学院生ではなく子供のグループで、成功の要因は試行回数の多さでした。
条件に回数もつければ他の大学生か大学院生が有利でしょうが、人生というのは条件に回数がつかないため、試行回数の多さは成功=お金持ちへのチャンスを高める可能性が高まるでしょう。
中世のルネッサンス時代は文化、芸術と資産家が育まれた時代ですが、この時代は人口が減ったことで一人あたりの余裕が生まれたことで、芸術のような無駄に近いことをできるだけの余裕があったのが背景にあるように、既に親がお金持ちの子供は労働という非効率なことを避けることができ、労働以外のほうが成功時の規模が圧倒的にでかいため、そこにチャレンジできる家庭というのも大きいでしょう。
起業家は子供が大学生のうちに起業させようとします。
なぜなら、大学生のうちなら失敗しても「でも、大学生ですから〜」で済ませることができ、別の道を探すに十分だからです。
お金持ちになる人は、既にいるお金持ちをよりお金持ちにできる人
ZOZOTOWNの前澤友作氏が成功した大きな要因は、優れたサービスを生み出したこともありますが、それがお金持ちに売却できたという点が大きいでしょう。
また、投資を受けたという点で、既にいるお金持ちをよりお金持ちにできたのが大きいです。
VTuberで知られるにじさんじの運営元は、創業者が若いことで有名ですが、早くから投資をしていたエンジェル投資家の人は上場前から投資できたため、上場後の上昇も含めて数千倍のリターンを上げたことをインタビューで答えています。
上の2者に共通する点は上場前に投資家を既に富ませている点で、成功者になるには既にいる成功者の資産をもっと増やす必要があるようです。
AIで一気に有名になったチャットGPTの運営元はマイクロソフトから1兆円以上の投資を受けており、それを元手にさらにマイクロソフトを強くすることが求められていますし、優れたサービスを提供できる場合、既に成功している人が当然の権利として利用してきます。
数イズパワーでも裏にはお金持ちがいる。
例えばYoutube的なエンタメであれば、成功する際に…と思われるでしょうが、自分で企画から権利から抑えて、出版も自分でやってという形ならいけるでしょう。
Youtubeなら個人が個人のままで年に100億円以上稼げればお金持ちが認めるお金持ちになれるでしょうが…
Youtubeは本質的には広告を配信するプラットフォームであり、広告主は自分たちが儲かるという意味で広告を出します。
効果が高い広告を出したいというお金持ちの要望に応える必要があり、また、Youtubeの運営元はコンテンツクリエイターと広告料を折半しており、100億円の売上をYoutubeだけで上げていれば、Youtube運営は場を提供して利益を出していますし、広告主はそれだけ広告が見られたという点で儲かる要因になっているはずです。
色々と考察してみると、やはり成功の要因はチャレンジの回数だろうと思います。
そのチャレンジを成功に導くのは才能のように思われますが、成功者の話に道を傾けてください。彼らは苦しい時期や成功のきっかけとなるときに幸運に出会っており、チャレンジ×運=成功であるとする最近の傾向は現実的だろうと思います。
ここで、哀れな庶民やチャレンジしない連中は
成功者に対して、でもダメな部分はありますよね?恥ずかしい経験ありますよね?と的外れなことを期待し、本質を見ないし、成功者は運による成功を「実はあれが〜」と後付バイアスを付けてきますが、運を舐めることはおすすめできませんね。