ウェーバーの言う心情のない享楽人とは、まさに現代日本人のこと

2023年4月20日木曜日

雑記

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みなさんはマックス・ウェーバーをご存知でしょうか?

資本主義の発展において書かれた、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神という有名な著がある学者で、イギリスや米国が発展した背景にプロテスタントたちの神から与えられた天職と、それに対して許される投資と再生産、それ以外は禁欲的に働くというエートスというワードが重要になる話です。


で、この資本主義が発展した先に人々は神から数字に信仰が移り、巨大化した企業は官僚的組織に変貌し、働く人々も最後には精神なき専門人、心情なき享楽人になるとされている内容で、今回は心情なき享楽人=現代日本人であろうと書いていきます。



心情なき享楽人とは?

上で書いたように資本主義を発展させ、富を増大させたのはプロテスタントたちの天職と投資でした。

労働を天職であると考え働いていた時代から、およそ多くがシステム化され、天職とは思わずに頑張ろうとしない労働者のことを指しています。

これは成長したアメリカを見て将来を上のように予言したわけですが、日本も完全に陥っているでしょう。


日本で上に当てはまらない時代はせいぜいバブル以前までで、復興や成長に伴って、天職を頑張っていけた時代は職人気質と言われますが、それで十分に良かったわけです。



しかし、現代の動機づけは成功というイメージ、つまり外的なイメージが先行して人々はモチベーションをでっち上げており、可能な限り多くのお金のためにモチベーションやスポーツで言えば勝利というこれもお金に繋がりますが、これのみとなっています。


ウェーバーの言っている天職という考えだと、モチベーションの動機づけは内的な場所にあり、純粋に好きで努力してきた人物が、結果として成功したり金持ちになるのは往々にしてありますが、このパターンが本質的な考えでしょう。



底のない鋳型

デュルケムにもオーバラップしますが、彼の考えに底なしの深淵という考えがあります。

それは社会的な自由が増せばますほど、社会的拘束がなくなることで、貧困でない自殺が発生するという自殺論の考え方があります。


人間には欲求がありますが、これは人それぞれです。

しかし、社会の方が形を決めてくる(=鋳型)わけですが、しかし決まった形は本来ないので、人々はもっともっとと欲求を求めることを無限という病と評しました。

これをアノミーといい、鋳型が壊れた人間たちは、欲求を鋳型に入れても、無限に底から抜けていく、底なし状態で充足感は満たしては消えを繰り返す。


豊かになっても、次なる豊かの指標が現れ、さらなる物を求め続ける自由だが無限に続く状態…

これによって実は金銭では幸せが買えないことは古くから議論されており、上の心情のない享楽人と無限という病に冒された現代人は、多様性がでっち上げた理由のために働き、いくら満たそうとしても満たせず、アノミー的な自殺が増えているという状況に近づいているようです。

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