最近はXのエコーチェンバーを変えるために意図的にビジネス含めて多くの新たな情報をいいね、ブックマークして、その関連ポストまで連続的に見ていってXのおすすめ投稿をよりポジティブで、ビジネスの先端に近く、目新しい情報が流れるように改善しています。
新たな情報や世の中の変化を称賛したり伝える投稿で反応はどうなっているんだろう?と見ていると、特に日本は冷笑的な反応が多いです。
インターネットと冷笑は極めて相性がよく、短い文言でもスパーンと論破できた気になれるし、世の中は多くの挑戦と失敗に溢れているのでスタンスとしては「ほら失敗した」「外れてるw」「ポジショントークでしょ?w」と自分より遥かに優れた人がちょっと落ちただけで、自分のところまで落ちてきたと錯覚して批判的で悪質な冷笑がしやすいです。
最近だと殺人事件の被害者がネイリストだったことから「ネイリストに碌な人はいない」という最悪の冷笑コメントがありました。基本的にSNSもYoutubeも冷笑コメントが多いので見た結果として感想が冷笑しかでない人は終わっています。
冷笑、なら君は何を今やっていて?成し遂げたいの?
冷笑している人を見て私が思うのはその時間あるの羨ましいなという感想です。
私も過去に冷笑スタンスのときがありましたが、それは自分が成功していないからでした。
そんなことをしても意味はなかったので、勉強し、読書し、自分を変えてリスクを取り、他の人が安全にやっていることをやらずに戦略的に自分の人生を生きただけで数年で劇的に変わりました。
自己啓発本やマインド本、成功者の本を読んで「そんなの意味ない、バカを見るだけだろ」と私も思いましたが、世の中は前向きに努力し進む人の味方の方が圧倒的に多く、それを冷笑する人は成功しようとする人と応援する多くの人たちの端っこで仲間外れが固まってグチグチ言っているだけの残念な人でしたし、思い返すと私もそうでした。
冷笑している人が今やっていることが冷笑なので、冷笑を再生産してネット上のエコーチェンバーで冷笑同志が固まっていく。つまり安全圏から冷笑するだけのコミュニティが意図せず作られていき冷笑している知り合いのポストが流れてきて冷笑しにいく…
冷笑は究極の単純化
冷笑を知的な反応と考える暗黒期も私にありましたが、冷笑は簡単な単純化と反応の繰り返しで自分の意見や周りのエコーチェンバー冷笑同志の意見を固定&再生産しているだけです。
専門家が言う事は全部"ポジショントーク"だと思い込むし、
挑戦している人の理由を全部" 金でしょ"と思うし、
成功している人を"運"、さらに"親や育ち"とし、
自分は現状変更しないのに、変えたくて必死に足掻いている人を本気で馬鹿にしています。
どうせ〇〇、単純化して一刀両断して気持ちよくなる、自分たちが想像できない例外を排除した究極の単純化で世の中はシンプルな何かに支配されていて行動原理が基本決まっていて、自分たちにこそ価値があって、冷笑される対象を何かに魂を売っている恥ずかしい人たちだと本気で思い込んでいます。
その点で冷笑は陰謀論とも相性が良く見えますが、陰謀論も冷笑するので冷笑は全部キャンセル単純化界隈です。
賢いそこのあなた!!!
気づきましたね、私が冷笑をステレオタイプ化したり、〇〇界隈として単純化しているのも冷笑と同じ構造です!
これを繰り返して擦ることしかしないのが冷笑で普通は飽きるのですが、ずっと新しい冷笑できる物を見つけてきた、わざわざずっと冷笑をできるのが冷笑している人の凄さと私が時間勿体ないなと思う理由でもあります。
単純化できる明確な答えなんて世の中にないし、真実もつまらない
世の中では1人が動くプロセス自体がそもそも複雑で、それが組織なら何人も関わっていき余りにも多くのステークホルダーで物事が動きます。
世の中の事件はきっかけがシンプルな事は多いですが、それに関わる人が増えて複雑になっていって、真実がどんどん隠されて、でも真実がもっとも単純でつまらないということは世の中に多くあります。
アンビリバボーなどテレビ番組であの事件の真実は?系がありますが、きっかけが簡単で関わる人が増えて結果的に複雑になったという単純化できないけど真実はつまらない事件も数多く紹介されています。
ドラマで考察して考察して考察して真実がシンプルでつまらなかったら嫌でしょ?でも世の中は真実という結果より、それに繋がるプロセスが複雑で答えへの道が単純化できなくなっていくことが多く冷笑で片付けれるような単純さは社会にそうないです。
何かを生み出すか、変え続ける。進まないといけない。
安全圏から何もせずに冷笑するのは世の中が停滞していて、失敗ばかりなら良い防衛手段になると思います。
冷笑を人生の要にするなら失敗した人だけを見て冷笑し、成功する人を無視しましょう!!!
ただ、世の中の娯楽やコンテンツが楽しいと感じなくなる代わりに冷笑エコーチェンバーが楽しいと思う冷笑コンテンツがどんどん楽しくなっていき、行き着く先は停滞です。
なぜなら冷笑をしている人は挑戦を運と親のコネがないとダメだと思っているから、挑戦しづらいでしょうし、冷笑同志がいれば挑戦する=冷笑されるという自滅行為になります。
冷笑は自分が社会から自ら落ちていきながら、新たなネタとして落ちてきてくれた人を安全圏から叩いて、それ以上に落ちていく行為で生み出すことも変えることもできないから冷笑を続けているわけです。
ネットならまだしも周りに冷笑スタンスの人がいれば、その人に前向きな話題は出さなくなるし、本音は言わなくなるので冷笑している側が被害者面して仲間外れにされてる!と感じるかもしれないですが冷笑してくる人に面白い話も良い話も基本しないです。
周りが変わることで落ちてきて冷笑できるようになるのを待つだけは時間の無駄です。
冷笑しても自分の価値が今よりさらに下がるだけで縮小均衡です。
自分を変えるには自分で変わるしかないし、努力をして何かを生み出していかないといけないです。
成功している人が運良く見えるのは行動の回数が多かったからであり、よほど悪質な失敗をしなければ失敗しても周りに人は増えていき、やるほどに成功の可能性は上がっていきます。
少しでも進んでいないと誰にも見つけてもらえません。
世の中はマジで面白い
今の私は冷笑時代と比べて世の中のほとんどのことを面白いと感じています。
鬼滅の刃を頑なに見なかったのですが、マジ面白いです。
Netflixでドラマ化したグラスハートは少女漫画的で寒さがあると言われていますが、時代的にそれはそうで、だとしても映像の力の入りようやラストに向けたドラマの構成、地上波では難しい最終話のミュージシャンという主人公たちに特化した構成。
投資家になって世の中の資本関係がだいぶ見えるようになったので、これはあの企業で資本的にあそことあそこが仕掛けていてなど分かりますが、そんなのどうだっていいです。
企業はリスクを負って娯楽を世の中に大規模に供給している。
こんなことができて企業として永続していくには稼がないといけないです。
それで失敗したことを叩くのもダメでしょう、次の挑戦者がいなくなります。
世の中は分からないことばかりだし、凄いことばかりです。
凄いことばかりで面白いことだらけなのに何かを持ち上げるのに何かを下げる必要もないです。
何を生み出したいか、変えたいか、進めたいか選択肢は無限に広がっていくのだから、多くのことを試しまくって一つに絞るだけでも時間が足りないくらいなのに冷笑している時間なんて勿体ない。
